Crz8viqVMAAo8nL
インタビュー自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと

interview1
prof
interview2

一人暮らしを始めたいきさつは?
小学生の頃、ふと、「親が先に死んでしまったら、自分は生きていかれない」と気づきました。当時の私は、生活全般、食事をするのも学校に行くのも、何でも親の介助を受けていましたから。この不安は年齢を重ねるにしたがって大きくなっていきました。親なしで暮らせる“実験”を早めにしておかないとまずいと思っていました。それで、高校を卒業し東京の大学へ進学するのをきっかけに親から離れるというのが、最初で最後のチャンスになるような気がしたんですね。親は当然、猛反対しました。うまくいかなかったら帰ってきなさいとも言っていましたが、自分の中では、ダメだったら実家に帰るという選択肢は無かったですね。

 地域で一人暮らしをしている先輩障害者の姿を、子どもの頃になんとなく見ていたこともあって、「自分にもできるはずだ」という確信があったのも大きかったと思います。具体的にどうやっているのかは分からないけど、明らかに自分より障害の重い人が一人暮らしできている。その事実が背中を押してくれました。

 一人暮らしを始めて、まず困ったのはトイレでした。最初はなにも手を加えていないトイレで、介助してくれる人もいなくて、失禁してしまった。でも、こう体を動かしたらうまくいくんじゃないかとか、ここに手すりを付けたら使えるんじゃないかとか、試行錯誤していくのは楽しい実験でしたね。私も物に合せて動きを変えるし、物も私に合せて形を変える。どちらかが一方的に譲歩するんじゃなくて、物と私が「互いに歩み寄る」。一人暮らしの体験は、生まれて初めて世界と直接交渉することができた、そんなわくわくする感じがしました。それまでは世界と私の間には、いつも親が挟まっていて、「向こう側がよく見えない、じれったい!」みたいな感じでしたからね。

“自立”とはどういうことでしょうか?
 一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。

 東日本大震災のとき、私は職場である5階の研究室から逃げ遅れてしまいました。なぜかというと簡単で、エレベーターが止まってしまったからです。そのとき、逃げるということを可能にする“依存先”が、自分には少なかったことを知りました。エレベーターが止まっても、他の人は階段やはしごで逃げられます。5階から逃げるという行為に対して三つも依存先があります。ところが私にはエレベーターしかなかった。

 これが障害の本質だと思うんです。つまり、“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされていて、その便利さに依存していることを忘れているわけです。

 実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく、依存先が集中している状態です。だから、障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。今にして思えば、私の一人暮らし体験は、親からの自立ではなくて、親以外に依存先を開拓するためでしたね。


 引用元:http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho56_interview.htm
熊谷晋一郎@skumagaya

____

脳性まひです。電動車いすに乗っています。小児科医です。『リハビリの夜』(医学書院)という本を書きました。当事者研究に興味を持っています。

東京都新宿区
manazashijam.web.fc2.com/index.html
2010年4月に登録


 引用元:https://twitter.com/skumagaya
熊谷晋一郎とは(Wikipedia)

shinchodoc650

熊谷 晋一郎(くまがや しんいちろう、1977年 - )は、日本の小児科医。
山口県新南陽市生まれ。新生児仮死の後遺症で脳性麻痺になり、車椅子から離れられない生活を送っている。小中高と普通学校で統合教育を経験した。山口県立徳山高等学校を経て東京大学医学部卒業後、病院勤務等を経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター准教授。
2010年、『リハビリの夜』(医学書院)で第9回新潮ドキュメント賞受賞。
パートナーはアスペルガー症候群の当事者である綾屋紗月で、二人で障害者の立場からの当事者研究を行っている。

著書
『発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい』(シリーズ ケアをひらく)医学書院、2008 (パートナーの綾屋紗月との共著)
『リハビリの夜』(シリーズ ケアをひらく)医学書院、2009
『つながりの作法―同じでもなく 違うでもなく』(生活人新書)日本放送出版協会、2010(パートナーの綾屋紗月との共著)
『当事者研究の研究』(シリーズ ケアをひらく)医学書院、2013(パートナーの綾屋紗月他との共著)

出演
NNNドキュメント'13 「見える障害のあなた 見えない障害の私」(日本テレビ、2013年10月20日)[1]

脚注
^ “見える障害のあなた 見えない障害の私”. 日本テレビ (2013年10月20日). 2015年2月8日閲覧。


 引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E6%99%8B%E4%B8%80%E9%83%8E




以下、Twitter民の反応




ファボられたので申し少し。
自立できるというのは依存先が0ということではなく、日常的またはいざという時に「依存できる先」がいくつか「選択」できる状態を指す。
(tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…)



(メモ)自立とは、依存先を増やすこと。 希望とは、絶望を分かち合うこと。…なるほど。
「揺らぎが無くなった」「揺らげなくなった」「そしてそれは、世の中全体に着実に浸透している」…以前から感じている。そして自分も揺らげなくなっている。
tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

これの「依存と自立」の関係を読んでたら、この垢始めた頃からグダグダと考えてたことが整理できた気がする。

tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

自立とは何なのか。そして、健常者こそが依存の中で生きているということを痛感させられる記事でした。考えさせられる。 tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…


自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと
tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…
熊谷晋一郎さんのインタビュー。「自立とは何か」を、とても分かりやすく説明した記事。「自立」の反対語は「依存」ではない。

自立は、依存先を増やすこと
希望は、絶望を分かち合うことtokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

「依存」というのかどうかは自分では判断できんけど「心を救ってほしい」と思える人ならいたけどね。無論心を開いてもいいと思えた人にしかそんなこと考えないけどさ
tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

このインタビュー、ちょっと心を動かされました。
「自立は、依存先を増やすこと
希望は、絶望を分かち合うこと」
tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

自立とは依存先を増やすこと tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

この通りだとすると私は孤立なんだな。
あぁ確かに元気で楽しかったときって、甘えられる人がたくさんいた。

“依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです” 耳が痛いね… tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

自立は、依存先を増やすこと
希望は、絶望を分かち合うこと
TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行)
tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

@tasuki_rose 依存先って必要なのに繊細だったりする一方でこんな文脈で語られたりして難しいトピックですよね。
tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho… pic.twitter.com/DDjUj2aEb5

なるほど。確かに選択肢が多いと何にも頼っていない気がしてしまうな。 / “熊谷晋一郎さんインタビュー「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」 - TOKYO人権 第56号(平成24年11月27日発行)” htn.to/ARVgtuE

tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

同意と納得。
ここまでちゃんと文章で説明できてるのは有り難いです。
これが分かってないと家族も本人も苦しむし、心を壊された人達も恐怖から似た体験をすることになるので、今が普通で平気な人達でも知っておいてほしい。

さっきのこの記事 tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho… 、高齢化社会において高齢者に知っていてもらいたいなあと思う。介護される側に回った時、プライドから拒否されることが多い。もう見えてない、聞こえてないのに、できると言い張る。できると言われれば介助できない。続く


健常者は何も頼らずに自立していて、障害者は色々なものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。真実は逆で、健常者は様々なものに依存でき、障害者は限られたものにしか依存できていない。自立を目指すなら健常者並に依存先を増やす必要有tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

あたかも「私は自由でございます(ドヤァ」みたいな輩に限って、、というのがよくわかります!鋭い考察です、ためになります。


人は誰しも数多のものに依存しており、“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと、という認識は腹に落ちた。だからこそ「依存先」を増やす事が重要。全文必読 ow.ly/13L53042ppZ 自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと

そもそも「自立とは何か」についてよく書かれたインタビューですが。
また「何でもカテゴリー化して制度を作っていくだけでは、制度に乗りきらない人たちが永遠に生み出され続け、首尾よく乗れた人も窮屈に感じる」のはいわゆる健常者も同じこと。
tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…

tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…
痙直型脳性麻痺の小児科医の先生のインタビュー。
自立は依存先を増やすことっていうのは目からウロコでした。

自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと
tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho…
"実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。

tokyo-jinken.or.jp/jyoho/56/jyoho… 見る方向と考える出発点を変えるだけでなぜこんなにも物事の形って変わるんだろう。世の中って摩訶不思議アドベンチャーです。一生学び朽ち果てたいと存じます。


自立は依存先を増やす事って目から鱗やった。確かにそうだ。

依存先を増やすことが自立なら、わたしは全然自立できていない

万一の時にすぐに稼げる仕事を見つけられるだけの人脈を持つのも重要で、そういう意味でこないだTLで見た「自立とは依存先候補を多く作る事である」的な記事が凄く多事に当てはまるなあと思った。

自立とは依存先を増やし一つ一つへの依存度を下げていくことであるとするならば、劇場版の遊戯さんはなんかこう頑張りすぎたんだなあ…と思う。自力でどうにかすることだけではないんだ

「自立とは、依存先を増やして、依存度合いを分散させる事」か。考えた事もなかったな。
確かに自立できていない人って依存先が集中してる。
親。家族。異性。会社。

例えば、アイドルにはまっていて、そこしか自分が「選択」できない「依存」できないと思ってしまうとそこに「不安」が生まれる。
他にも「この依存先がなくなっても、次はこれ、あれ」と「選択」できることが「安定した自立」につながるのでは

依存先を拡大する=自立するって考え方目からウロコ。何もかもひとりで抱え込んで解決することが自立なのではなく、自分を守るための道を確保出来るようになりたい

依存先を増やす、自立していると自身で思うことが自立していると言うことになるとすれば、俺は一生自立出来ないことになると思うんだが。真の意味で人に依存することはないと思うもの。

でも依存先を増やすのは自立だってこないだ見たしなぁ

「自立とは依存先を沢山持つこと」という障害者のお話、健常者が日頃気づけないでいることをわかりやすく書いてあって良いと思うんだけど、いろんな人に頼って迷惑かけるのがOKなんだと曲解する人がいるんじゃないかと心配……。

@YukiNozomu 「どこにも依存してないと思えるくらい依存先があり、それぞれへの依存度が低い状態」が、限りなく自立に近いと思っています。他に依存しないことは、ある意味非常に危ういです。頼れる先、と言い方を変えても良いかもしれません。

なるほろ。自立するには依存先を増やす、か。
たしかに。

苦しくいので、電車にのるのが辛いだとか、そういうことも依存先が減る。なにかに頼らざるえなくなると、依存していると捉えられる。人前で話せない、質問できないことも、しっかりしなさいやら、大きな声だしなさいやら、自立できてないわよ。だとか。声に依存してるのは、きっと。。。

前「自立とは依存先を増やすことである」と聞いたけど この話が大元だったのね。 いつも心に留めてます

複数の依存先を持つことが自立だというけど夢ノ咲にユニットだクラスだ部活だ委員会だがあることは素晴らしいシステムだ

障害を持った方の「自立とは依存先を増やすこと」と言っていた記事を読んで共感。障害であるなしに関係なく、そこに、ユーモアや愛嬌といった接着剤や潤滑油があるとさらにいいのだろうなぁ。

なるほど、自立は依存する先のバランスが取れてるってことなのか。バランス…今取れてないなぁ。

でねニッぴぬはライアンという依存先があるからある程度自立できていて、その分他に危うい要素があるわけだけど、今作ぴぬは依存先を与えられていないから話が進まなくてもそれだけで危ういんだよね かわいい

自立することは依存先を増やすことって記事を見て、はーなるほどって思っていた。それってつまり、信頼できる場所や人を増やすことでもあるんだろうなぁ…。

この話よく聞くなあ〜 私も依存先が少なくて結局自立できてない う

最近Twitterで「自立」は依存先を多く持つことだと読んで、目からうろこが落ちた感じ。
10代の自分に教えてあげられたら、少しは楽に生きれたのかもしれない…
出来る限り他人に依存しないように孤独に慣れるように生きてきたから友達の作り方すら忘れてしまったよ…

自分で自分を客観的に見るのって難しいですけども。
あとあれだ、自立は依存先が多いほど成立するっていう…。ひとつの事柄に囚われるのは、己の視界を狭くすることなのかなぁとか、つらつら考えていたけど、もう何が言いたかったのかよくわからない←